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知っ得情報
切手の歴史

世界で初めて切手が発行されたのは、1840年、イギリスでのことでした。当時、手紙を出すには、大きな紙の片側に文面を書き、それを折りたたんで文面を中に入れ、裏側をロウで封印して、宛て名を書いた表の面に、料金を払ったことを表す印や日付を押してもらい、送っていたそうです。
ただ、これでは、郵便物を出すたびに手間がかかるので、料金を払ったことを表す図案をあらかじめ印刷した紙を郵便局で売れば、料金を取る手間が省けると考え、これを作ろうと考えられました。現在でいう、郵便書簡や航空書簡のようなものです。
この頃、郵便制度の改革を主張して、その推進を任されていたローランド・ヒルは、そのようなものだけでは不満に思う人もいると思い、封筒の形のものも用意することにしました。
また、この計画が進んでいる一方で、料金を支払ったことを証明する小紙片を作って売れば、人々はそれを封筒に貼って使えるというので、それを提案する人も出てきました。
イギリス以外の国でも、その案は出されていましたが、その国の政府が実施に踏み切らなかったので、イギリスが、世界で初めて切手を発行した国として、栄誉を担うことになりました。こうしてできたのが、1ペニー切手(ブラックペニー)と2ペンス切手(ペンスブルー)です。

日本では、1871年、イギリスでのこのしくみを前島密が導入しました。1872年、全国的にその制度が整い、それまでの飛脚やかごに取って代わることになりました。


切手 切手
1994年8月10日発行
郵便切手の歩みシリーズ 第1集
日本で最初に発行された竜切手と
前島密をデザインした切手
貨幣の歴史

大昔、まだ貨幣というものがなかった頃、人は物々交換という手段で欲しいものを手に入れていました。ただ、この方法では、なかなか交換する相手を探せず、欲しいものを手に入れるのに一苦労でした。そこで、交換の対象として生まれたのが、誰もが欲しがるもの・・・「貨幣」です。貨幣の始まりは、古代中国などで使われていた貝や、貝と同じように、持ち運びに便利で丈夫で長持ちの石や骨、また、穀物や布だったそうですが、そのうち世の中が変わるにつれ、金・銀・銅などで作られた貨幣に変わっていきました。わが国では、平城京に都が遷される2年前、708年に、わが国最初の貨幣「和同開珎」が作られました。この和同開珎は、唐の国の開元通宝をモデルに作られたといわれています。

開元通宝 和同開珎
「和同開珎」の
モデルといわれる
「開元通宝」
わが国最初の貨幣
「和同開珎」

皇朝十二銭といわれる、708年にから958年にかけて朝廷が作った12種類の銅銭、戦国時代、甲斐の国を領有していた武田氏が発行した甲州金、天下を統一した豊臣秀吉が作った天正大判、徳川家康が、全国に通用させることを目的に鋳造した慶長小判、明治政府が発行した明治通宝札・・・
その目的は、時には武器の購入のため、時には恩賞用として、また紙幣の統一を行うため・・・
貨幣は、和同開珎が作られて以来、長い年月にわたり、それぞれの時代にその形や制度を変えながら現代に至っています。
テレカの歴史

1982年までは、公衆電話は、10円硬貨や100円硬貨で利用できるものだけでした。
100円硬貨で利用する公衆電話は、100円使いきらなかった場合でも、お釣りが出るようになっていず、それが長い間問題になっていました。
そこで、お釣りが出る電話機の開発が考えられましたが、それには膨大なコストがかかることもあり、この電話機の開発は見送られたそうです。
そこで、お釣りを出さなくてもいい別の方法として考えられたのがカード式公衆電話でした。
そのカード式公衆電話を利用するために、1982年12月、旧電電公社が、プリペードカードを発行しました。それが、テレホンカードです。
現在は、携帯電話の急速な普及によって、公衆電話の台数は減ってきてはいるものの、公衆電話を利用するものにとっては、10円玉をたくさん用意するという手間や、
話が長くなっても通話の途中で10円玉をどんどん追加するということもなく、また、公衆電話の設置者にとっては、公衆電話の中に溜まった10円玉を回収しに行く手間が省けるというメリットがあり、今でも広く流通しています。

「楽」 テレホンカード テレホンカード 「音」
電電公社時代に最初に発行された
岡本太郎デザインのテレホンカード 
100度数と300度数

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